愛知県西尾市で、お墓店を営んでおります「石匠武田(せきしょうたけだ)」でございます。当店は、お客さまが望む理想のお墓、「思った通りのお墓」を叶えるお墓店です。
お墓を建てることは、故人への感謝の気持ちをかたちにすることだと思います。わたしたちは、お客さまの故人への想いを汲んで、それをかたちにするお手伝いをいたします。
お墓屋の仕事をはじめて、40年になります。その間、お客さまから「思っていたお墓と違う」といった、お叱りの声は、一度もいただいたことがありません。
「なぜだろう」と考えたとき、それは、わたしたちが「感謝されるような仕事をしたいと思っているから」ではないかと思いました。
故人への感謝の気持ちをかたちにするのがお墓です。もしも、「自分が思っていたお墓と違うお墓」ができあがってしまったら、感謝の言葉はいただけません。
ですので、
わたしたちからの意見を無理に押し付けることはしません。
打ち合わせは、お客さまが納得するまで何度でも行います。
実際に、洋型デザイン墓石の場合、多いときは10回くらい打ち合わせをするでしょうか。
お客さまが納得してから、施工作業を開始します。
石匠武田は、わたしのおじいさんが大正14年に、岡崎市中町ではじめました。
父が2代目、わたしは3代目です。
わたしは、22歳からはじめたので、今年で43年目になります。
子どものころ、父の仕事をみていて、大変な仕事だと思っていました。
父は、石を荒く削る工程(むしり・叩き)を担当していました。
これは、石から舞い上がる粉塵を吸ってしまう工程です。
それが原因で、父は早くして急逝しました。
亡くなった当時、父は48歳、わたしは22歳でした。
父がなくなる前の4年間、父は入院していたので、母がお店を切り盛りしていました。
わたしは、「たぶん、自分が継ぐんだろうな」と思っていました。
22歳、大学卒業後、進学はせずに家業を継ぎました。
そうしてはじめたお墓屋の仕事でしたが、仕事をしてみてびっくりすることがありました。
お墓を建てて、ものすごく感謝をされたのです。
お豪華な膳までいただいてしまって。
もちろん、今とは状況が違い、昔は先祖への感謝の気持ちが強かったから、こういったお墓屋という人間を、もてなしてもらえたんだと思います。
でも、それがわたしの仕事の原点になりました。
それ以来、感謝される仕事をしようと思いましたし、感謝されるよう努力していこうと思いました。
40年間で1千本は建てたでしょうか。
やはり、洋墓(洋型のデザイン墓石)を依頼される方は、何度も打ち合わせをするので、印象深いですね。特に、女性の方が故人さまへの思いが強く、個性的なお墓を建てられることが多いように思います。
お墓のかたちは、近年、多様化しているように思います。お墓への考え方が変わってきて、お墓のかたちも変わってきているのだと思います。
たとえば、「いずれ娘さんも入る予定なので、家紋は入れないでほしい」こういったご要望をいただくこともあります。
時代は変わり、お墓というものへの価値観は変わりました。
でも、今、わたしが生きていることはご先祖さまがいてこそ。その感謝の気持ちが大切だということは、時代を越えるものだと思っています。
お墓のかたちは、時代に合わせて柔軟に、でも、ご先祖さまへの感謝の気持ちの大切さは変わらず、伝えていきたいと思います。
西尾店店長の武田充弘です。石匠武田4代目です。
国内でも有名な庵治(あじ)石の産地、香川県庵治町(当時)で、4年間修行をしてきました。
そこで、石を見る目を培いました。彫刻屋としての技術、仏像を掘ることの修行をしました。
周りに日常的に石があったため、自然と石を見る目がついたのか、国産と外国産墓石の違いは、ひとめでわかります。
石は自然のものです。ですから、地元の石は、地元の風土に合っているんですね。
岡崎産の石はいい石ですよ。岡崎の職人が岡崎の石を使って、精魂込めてつくっています。本当の石の良さをお伝えてしていきたいですね。
実際に石を掘っていた経験から、石の硬さや粘りといった、石の内側を、肌感覚で感じられるようになりました。
ですので、石を見る目には自信があります。お客さまが良い石を選べるよう、アドバイスいたします。もちろん、良い石といっても国産ばかりではなく、ご予算に応じて、外国産の墓石もご案内いたします。
また、石の加工技術があるため、墓石の修理やメンテナンスを、その場で対応することができます。小回りの効く、素早い対応をお約束します。